少年愛之美学

守備範囲がやや広めの腐女子による鑑賞と思索。

高村薫『李歐』×BANANA FISH、とasexualなボーイズラブについて

多忙ゆえご無沙汰していましたが『BANANA FISH』アニメ化決定に興奮が押さえきれず久々の更新です。まずはおめでとうございます! 初めて読んだ時からこれアニメにしたら今でも爆ウケだろうな~と思っておりましたので本当に、動くアッシュたちが見られるのだと思うと感無量です。嬉しくて泣いてます。以前BFについて記事をアップさせていただきましたが一応重要なネタバレには配慮してありますので宜しければご覧になってください。

ehirocyanos.hatenablog.com

 

今回は高村薫さんの小説『李歐』について書かせていただきたいと思っていますが、個人的にこの作品と先程申し上げた吉田秋生さんの漫画『BANANA FISH』(以下BF)、通じるものがあると思っていまして(詳しくは後程)、一方を楽しめた方ならもう一方も好きになるんじゃないかな~と思うので、どちらかしか読んだことのない方には是非もう一方オススメしたい。ということで今回はこの『李歐』について、BFを引き合いに出して比較対照しながら、語って行きたいと思います。


まずどういった点が「通じる」と思ったのかというと、一つにはいずれも「異国人の反社会的美青年(美少年)と、悩める日本人大学生との友情物語」という設定で、彼らの運命とも言える出会いと魂の交感を描いた作品であること、もう一つには、銃弾と暴力と策謀の飛び交うハードボイルドであること、こういった辺りの、生死を賭けた殺伐とした緊張感の中に一片の愛の温もり……みたいな感じが、危なっかしくて切なくて幸せで、よく似ているなと。それにベクトルは中華とアメリカンという具合に違ってきますが、異国情緒溢れる非日常な世界観というのも理由の一つです。まあBFも中国の絡んでくるところがあったりしますし。

次に先程設定が似ていると申し上げたメイン人物二人ですが、『李歐』では李歐と一彰、BFではアッシュと英二にあたりますけれども、個人的には彼らを「いざなう方」と「いざなわれる方」に分けることができると思います。要するに、主人公と、彼を日常からある非日常へ引き込む存在とが、物語展開の装置として並立するということです。
まずいざなう方ですが、これは言わずもがな李歐ないしアッシュですね。李歐は中国の貧農出身の美貌の殺し屋で、見る者を惹きつける魔性と殺しの腕を持ち、ビジネスへの野望に燃える青年でありますが、彼が主人公の一彰の前に姿を現したことで一彰の退廃した日常は動き出し、自らの過去が呼び覚まされ、また壮大な大陸の夢が開けてきます。美少年で無敵で政治経済の才覚もありという点ではアッシュ君にも李歐との共通点が見える。それに両者とも愛を掴み損ねた暗い過去を背にしている。ただ彼らが少し違うと思うのは、李歐は過去を振り切ってカネに執着し、野心に向かって情熱的に真っ直ぐに生きている。一方アッシュは自身や肉親や仲間の復讐をエンジンにはしていますが、過去のトラウマや悲しみには依然として呪縛されており、まだ自分の生き方を模索していたようなところも見受けられた気が致します。この辺りが物語の終わり方に関係してきたのかなと。
それから誘われる方。どちらも平凡な感じの日本人大学生ですが、彼らの方は決定的に違う。BFの英二君は、NYスラムの殺伐とした現実とも無縁で世間知らずの純朴な少年でしたが、一彰君はもともと麻薬や暴力やセックスにまみれた割と危ない世界に片足を突っ込んでいました。それに彼は、駆け落ちして消えた母親の血を引いて自らも淫乱だ、と自戒的に自覚しており、またそういった母性への不完全燃焼が関係しているのか、年上の女たちと交情を持ちます。この自己評価や行動というのは「いざなわれる者」として英二君とは対照的です。この辺りが重要だなと思うのは、アッシュや李歐は誰が見ても強く美しく、カリスマ性を既に備えているから彼らに牽かれるのはある意味必然なのですが、一方、そういった存在がなぜ、平凡な大学生に過ぎない英二や一彰を「選んだ」のか、ということを考えると、たったいま言及したように英二と一彰は性質として対極にあるから、それぞれの相手が惹かれた理由も異なってくるというわけです。というのはこの二つの物語の隠れた決定的違いのように何となく感じます。

そしてこれらの物語に描かれる友情というのが本当に尊いわけです。BFのアッシュと英二の関係はBLなのかBLでないのか? ということに関してアニメ化決定の一報後、Twitter腐女子界隈でちょっとした学級会になっていましたけれども、確かに彼らセックスはしないが訳あってキスはしたし、「側にいてくれ」等々の萌え案件をまき散らしておいてあれはBLではないのか!? と言いたいところですが、オタクとしては軽率さを捨て、しっかり考察したいところです。
BFの記事でも引用申し上げましたが、BFの二人の友情はこの第三者の台詞に尽きる。

言っとくがあいつらの間には性的な関係はいっさいなかった

恋愛に似た感情は…あったかもしれないが

魂の…奥深いところで結び付いていたんだ

(引用:吉田秋生BANANA FISH ANOTHER STORY』1997年小学館)

吉田秋生『BANANA FISH』、「完全少年へのリビドー」とブロマンスについて - 少年愛之美学

恋愛に近い、しかし性的関係はない。私のような気難しい方の腐女子ホイホイな設定ですが、こういった「尊い」関係に対し「性愛よりも崇高な~」と言えば、性愛を貶める必要があるのか? と疑問を呈するお声もあったり、そも恋って何ぞや、恋と性愛は不可分なのか? という問題はやはり『摩利と新吾』的な難しい話です。私自身は物語の分類として、勿論性愛のある同性愛も好きだしただの仲の良い友人関係で好きです。ではバナナフィッシュはBLか? という問題へのeikouの立ち位置ですけれども、私が思うにアッシュと英二の愛が性愛の有無に関わらず一般の恋愛とは一線を画したものだと多くの読者が主張せずにいられない理由は、相手のために死ねるか? という問に最も関係すると思っています。彼らは確かに互いのために命を懸ける心積もりがあったわけで、親子でも兄弟でもない赤の他人である彼らの間にこういった究極の覚悟が生まれたことこそがこの関係が、単なるボーイズのラブではない、「尊い」愛なのだと言われる理由に他ならない。
ところで『李歐』では、キスやセックスこそしないけれども、一彰が李歐と女の性行為について夢想したりして、あれっこれ今、李歐側と女の側どっちで妄想してるんだろう……みたいな、ハァ!? ふざけんな(喜んでる)って感じのシーンもあって。まあこちらは年齢的にもちょっと大人ですから、アッシュは非処女ですが英二君なんて多分童貞だし、このガキンコ組の醸し出せないアダルティーさというものがあって然るべきと思います。


ともかくアニメ化の波に乗ってBFを初めてお読みになる方々、本棚の奥から引っ張り出してこられた方々には、読了後の虚無感の隙間に『李歐』を。ちなみに拳銃や小工場の描写等で機械の専門用語が飛び交っており、私はよく解りませんでしたが、メカフェチの方々も楽しめると思います。

最後に少しネタバレ込みで。感動を共有したいだけなので双方のネタバレしかしませんからご自衛ください。

 

 

 

 

 

 

『李歐』を最後まで読んで吃驚しましたのが、文庫版裏表紙にもAmazonの説明にも「15年の月日が二つの魂をひきさいた」とあってああさぞかし悲恋なんだろうなと、そして読み進めていく途中で夜の波止場で二人が別れた時、また会おう! って絶対死亡フラグなんだろうなと、心を痛めたわけですけれども、最後の3ページが幸せすぎて泣きましたよね。「ハッピーエンドじゃねえか!」ってツッコみましたよね。「大陸で一緒に暮らそう」が二人の友情の目標の一つで、離ればなれの十五年の中で二人とも様々な苦難を経験しながら結婚し子をもうけ妻との別れを経験したわけですが、息子を連れてやってきた一彰と李歐が再会を果たしたのち、デカいベッドで子供挟んで寝てるんですよね。子育てBLじゃないですか。色々な意味で希望に満ちあふれているじゃないですか。あらすじ詐欺(褒めてる)ですよ。BFのトラウマが吹き飛びましたよね。
というわけでBFで負った傷は『李歐』で癒すのが最善かと思います。


BANANA FISHアニメ化、本当におめでとうございます。尺どうするんだろうとか案じる心もありますが基本的に楽しみにしています。