少年愛之美学

守備範囲がやや広めの腐女子による鑑賞と思索。

武田肇『少年聖歌隊』、と共に児童ポルノを考えてみた

詩人らしい。この方の名を見付けた当時は行動範囲の図書館を渡り歩いて何とか『少年聖歌隊』にアクセスするも、入手には至らず、他の著書もほとんどお目にかかれていません。ことごとく絶版で中古も高い。ようやく18を過ぎたので落ち着いたときに国会図書館で求めてみたいものですけれども、作家本人に関してもあまり情報が無いのですが私の探し方が甘いんでしょうか。とりあえず半ズボン少年をこよなく愛する詩人さんのようです。

『少年聖歌隊』は音楽之友社から出版された小説で、半ズボンの日本人美少年写真(白黒)が数枚収録されており、あとは少年愛をモチーフとした幻想的で耽美的な小説が占めます。詩人というだけあって、文体は独特で粘度が高く装飾語句の練り方がやっぱり、プロット重視小説とは趣を異にするといった印象です。私はとても好きでした。写真のモデルの少年は本当に整った顔立ちで、ピアノの前に佇んだり絨毯に脚を投げ出したり、あどけない身体に滲み出る妖艶さ、現代ではなかなか撮れない代物と思います。
武田肇さんはこれまた少年愛小説+写真の『半ズボンの神話』がまあ代表作のようですけれども、半ズボンと言えば、昭和の小学生男子は皆半ズボンだったんですよね、『ドラえもん』や『サザエさん』などから窺っても。半ズボンといっても股関節下10センチくらいの、今にしては超ショートパンツ。ほとんどブルマみたいなものも見ますが。たまに写真とかで見掛けますけど、良い時代だったなと思います。そのくらいの歳の男の子の脚っていうのは、まあ当然体系によりけりですけれど、概して輪郭の緩急が少なくしなやかで美しいから、良いものは積極的に出していってほしいと思いますが、やっぱり今の流行りではないようで。

そんな半ズボンは当時から少年愛好家のアイコンみたいなものだったみたいです。今は残念ながらノスタルジックな意味合いが強いですけれども、昭和に隆盛したらしい「少年愛写真集」「少年愛ビデオ」なるものは現在はなかなか見られないように思われます。児童ポルノ法の影響で衰退したんですよね、おそらく。同時に、自分が性別の概念を越えて美しいものとして消費されうるという、A感覚的意識を持った少年の存在も、廃れていったのかなと、個人的には想像されます。

その児童ポルノ(以下児ポ)についてなんですけれども、まず公共の場において女子は胸と性器、男子は性器を、それぞれ最低限隠すべきという慣習は前提としてありますし、実物エロがいけないのも理解できます。ここで言うエロっていうのは上記の本来隠すべき場所の露出だったり猥褻行為だったり性的な意図を持って公共に発信された作品のことですけれども、確かにまだ判断力に欠ける児童にこれを強要するのは人権問題ですね。若気の至りって言葉さえ恐ろしいのに。ところでオムツのCMあるじゃないですか、あれには絶対に出たくないと思います。物心付かないうちに自分の尻を不特定多数の人に見られているとか耐えられない。友達にバレたらイジられそう。ピューリッツァー賞を撮ったニック・ウットの写真「ナパーム弾の少女」児ポっていうなら、あれは児ポでないんでしょうか、解らないけど。

しかし、エロでない実写を、個人でエロと解釈し楽しむのは、問題ない、というかそれを咎めてもきりがない。と思います。例えば水着やそれこそ半ズボンなど、その格好で公共の場に姿を現しても社会的に問題のない出で立ちをした児童を撮影したものを見て「エロいな~」と見てしまうのは、どうしようもない。私は学ランを見て「エロいな~」って思います。椅子や靴を見て「エロいな~」って思う人も居ます。まあ露出度とか対象が人格を持っているかも基準にはなりますけど。

それから、準児童ポルノというのが論争になりましたけれども、要するに非実在の児童をめぐる猥褻行為を扱った創作物ですよね、あれを禁止して良いか否かということですけれども、私の考えでは、あれは全然有り(ここでは、規制の必要は無いの意)かと思います。実在の特定の児童が損なわれなければ強姦死姦脳姦何でもやってください。

というのは、色んな研究で言われていることですが、「普通の」人間が創作物に触発されて、法に触れる、自己の社会的立場や他者の権利を傷付けることをわざわざするか、という。むしろ児ポを読んで実行に移してしまうような人間はそれを読まずともどこかで何かをやらかしたんだろうと。創作エロっていうのは普通、単純なる人畜無害なエンターテイメントなんですよ。殺人事件を扱った推理ものや華やかに書かれた戦争もののフィクションがそうであるように。

そもそも私も、エロがタブー視される決定的理由もいまいちまだ理解できていなくて、過激なBLコミックが年齢規制されず男女ものエロマンガが18禁、という事実から推測するに生物学的男女が現実で性交すると不本意でも妊娠することがありトラブルが起こるという、男女ものはそういう実害に直結するものであって、しかし思うに失敗してしまう人っていうのはエロを知ってしまっているからというのでなくむしろ中途半端にしか知らないからそうなるっていうのはあると思う。ある分野に深く触れるほど知識体系というのは完成していくものじゃないでしょうか。補足と言っては難ですが近頃はフィクションの世界だと男同士でも普通に妊娠します。

で、創作児ポに問題なしという話ですが、包丁の喩えはこういう時によく用いられますけれども、つまり道具ではなく用いる人間側に全ての責任があるという主張で、例えば包丁の「調理する」という用途に対応する児ポの用途は、創作物一般についてと同様「現実では経験し得ないことを模擬体験する」ことであり、包丁の「人を殺傷する」にあたる間違った用途が、児ポでは「創作物によって喚起された欲望をもとに現実に他者の人権を損なう」こと、であると。こんなことは腐るほど言われているしこれでいいんじゃないかと私自身は思っているんですが、二次元児ポに反対の方々の主張として、フィクション児ポ作品によって児童を性的に、時に残酷に虐待するというアイデアが提供されることで、現実の児童に被害が及ぶ可能性が出てきてしまう、というものがあるようです。児童をこのようにいたぶると楽しいのか、と本来それ自体を知らなかったであろう人に発想を与え欲望を喚起してしまうと。確かにそうか~と思う。しかし児ポが完全に規制されれば児童の性的被害は根絶されるか? というとそれは不可能ではないか。ポルノの歴史っていうか生物的、或いは社会的に人間に根付いたエロの想像力って、そんなに安いものじゃないのではと思うのです。それに、却ってフィクションを規制しない方がそれがスケープゴートとなって現実の犯罪が減少するという話もありますからね。

自分も子供を持ったら考えも変わるんでしょうか。今のところ青少年保護の観点から創作児ポの禁止を根拠付けようとしている意見の中で完璧に納得できたものが一つもないので、本当はもっと色んな意見を聴きたいのです。しかし少なくとも、「何か生理的に嫌悪感がある」という理由は、そう感じる人が居ること自体は理解できますけれども、それのみによって個人の範疇に留まりうる娯楽を奪う権利を、誰も保有していないことは、確かなんじゃないでしょうか。
私の提案は、非実在の感触を作り出せる量子テレポーテーション非実在の映像を作り出せるSONYのPlayStationVRとを組み合わせて、比較的安価なシミュレーションアダルトグッズを開発すること。犯罪率を減らせそうな気がする。しかし下手に作ると少子化に影響が出そうですから難しいものですね。

というように、なかなか武田の詩集が入手できないことに憤慨して八つ当たりをしております。