少年愛之美学

守備範囲がやや広めの腐女子による鑑賞と思索。

ボーイズクワイア、少年という概念のロマンとその象徴ついて

トーマの心臓』を筆頭にギムナジウムもの・寄宿舎ものなどと呼ばれるヨーロッパの全寮制男子校を舞台とした創作物に欠かせない要素の一つとしてミサがあり、お話の舞台となるヨーロッパの寄宿学校というのはたいていミッションスクールなので朝の礼拝や追悼礼拝のシーンが描かれまして、生徒達が讃美歌を歌うシーンがあるのです。ここでは「少年」という言葉を年少者という意味より狭く「男子」の意味として使わせていただいていますが、寄宿舎ものを通った方の多くはそこに開かれた少年合唱というジャンルへの扉を少なからず覗いてみたことがあるのではと思います。まあトーマが1974年・風と木の歌が1976年連載開始で、日本の少年合唱ブームが1950年代~60年代らしいですからどちらかと言いますと合唱が先でこれらの作品群も触発された側なんでしょうが、「少年」というテーマに目を付ける女性作家を輩出しその作家たちが事実上今日のボーイズラブ文化の礎の一端となっていることを考慮すると少年合唱の輸入の影響は大きかったのではないでしょうかね。

「寄宿舎もの」とボーイズクワイアは白人の少年、キリスト教、ヨーロッパ、男性社会、ホモソーシャルなどのイメージにより密接に結びついていて、竹宮惠子作品チックな金髪白皙の聖歌隊のイメージが強いですけれども、今はウィーン少年合唱団でも日本人を含む多国籍・多民族化が見られます。でもやっぱり保守的・伝統的・固定的組織というものへのロマンもある。聖歌隊とただの合唱団との間にもまた違う趣がある。

少年の歌声の価値の一つはその刹那性だと思います。芸術にかなった歌を歌う分別が付いてから変声期を迎えるまでのほんの僅かな蜜月が声のそれのみならず少年という儚い存在そのものへのロマンを喚起するのです。少年の身体は美しいけれどもそれ以上に概念として美しい。その概念は「この美しさが永遠であれば良いのに」という切望と非情の現実との対比から立ち表れる永遠性を担っている。このテーマについては以前からちょいちょい語らせていただいています。

仮説②、古来より刹那性の象徴である(『ヴェニスに死す』等)少年は、ソクラテスのエロス論に基づけば、自分に欠乏するもの=永遠性を渇望し、その切ない憧れとしての「永遠性に対する性欲」こそA感覚=原始的性感と言えるので、何よりも根源的存在である。

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「永遠性の渇望」については世阿弥著の芸能理論書『風姿花伝』に語られています。少年の美しさは移ろいやすく、変声期が訪れたり不安定な柳腰になってきたりしてすぐに枯れてしまう、だから能において追究すべき美は見た目の美しさではなく永久不滅の「花」である……というのが概要であったように虚覚えておりますけれども、裏を返せばそこには永遠性を手に入れることができない人間の悲哀のようなものがあって、それがこの芸術の原動力となっているということなのかなと思います。

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少年から男性への変化というのは少女から女性へのそれよりも顕著です。その一つの事実であると同時に象徴であるものが変声であると思う。そういった意味でボーイズクワイア、少年合唱というのは少年の一瞬性の美学のまさに象徴と言えるのかな、と。

以上ショタコン女の熱弁でした。

代表的なボーイズクワイアをいくつかご紹介させていただきます。

ウィーン少年合唱団


"Tritsch Tratsch Polka," sung by the Vienna Boys' Choir
言うまでもなく世界でもっとも有名なボーイズクワイア。伝統的な印象。聖歌もありますが民謡なども取り入れられていて比較的宗教色が薄い感じが致します。2012年くらいの公演を見に行った時には日本の伝統曲「さくら」や、東北の震災の「花は咲く」を歌われていました。セーラー服の制服が可愛いです。

●ボーイズエアクワイア


Boys Air Choir - Boys on Bach.wmv
伝説のソリスト、コナー・バロウズに始まる英国聖歌隊のトップ・ソリスト達を集めて結成された夢のクワイア。その売り名に恥じず本当に完成度が高く洗練されている。個人的にBACの「Eja Mater」は今のところボーイズクワイア曲の中で一番好き。

●リベラ


Libera リベラ Far away 彼方の光
POPで親しみやすいと思います。白いローブが特徴。マジ天使。

 

他にもパリ木の十字架少年合唱団とかケンブリッジ・キングス・カレッジ聖歌隊とか少年のみからなる合唱団は世界各地に存在します。私もまだまだ少年合唱の世界を開拓していきたい。