少年愛之美学

守備範囲がやや広めの腐女子による鑑賞と思索。思い付いたまま書き散らしている。

平沢進、で音楽のエロスと起源に想いを馳せる

今週のお題「私の沼」を使わせていただきます。今回の記事はいつにも勝り個人的な感想です。
こんなブログを書いている人間なので人生最大の沼は無論「ホモ」なんですが、最近急速に沈められている沼が平沢進なんですよね。平沢進さんは1970年代から現在まで活動されているミュージシャンで、方向性としてはテクノポップ、有名な曲だと筒井康隆原作今敏監督のアニメ映画「パプリカ」の主題歌『白虎野の娘』等でしょうか。平沢さんは最初P-MODELというバンドでメジャーデビューされたそうですがそちらのほうはまだ私は開拓できていないので、今回は主にソロ活動時代の曲について語らせていただきます。

どうでもいいんですけど私が歌を好きになるプロセスって歌詞→曲というパターンが多くて、まあ「認知」自体は曲そのものが先立つことが言うまでもなく多いのですが「好きになる」には歌詞が決定的要因だったりして、まあどうでもいいんですけど、どんな歌詞がeikouの好みなのかというと、デザイン性重視の歌詞が好きなんですよね。表面上意味がないというか、色合いの合う感じの単語を連ねるみたいな。思い付いた言葉を連ねた脈絡のない文体が散文と詩の相違だといった西脇順三郎(シュルレアリスム詩人)の創作技法といった感じ。「愛してる」とか「勇気出せ」みたいにメッセージに音を付けた感じの、方向性のしっかりしている歌詞はあまり好みではないのです、例外が無いわけではないですが。音楽は大好きなのでまだ他の機会にも書かせていただきたいと思います。

で、平沢進さんの曲って、私の印象だと、噛めば噛むほど味が出るタイプだと思っていて、上の通り私は歌詞を見てから、よし、この曲をちゃんと聴いてみようという観賞の過程を踏む人間でありますから、初めて曲聴いてみたらすごく違和感を感じましたし何だか私が入っていい世界と違うかなという感じがしていたのですけれど、このアーティストさんは絶対好きになると歌詞を見て解っていたので何回か流しているうちに、いつの間にかドボンしていた。これ、即ち聴けば聴くほどいつの間にかとらわれている理由というのは、平沢ミュージックの独特の音階にあると思うのですが、つまりこの方の使われている音階って今大衆的とされているヨーロッパ由来のものではないものが多く含まれているようで(あまり音楽理論については詳しくないのですが)どちらかというとアジア・アフリカの民族音楽のような、西洋音階にすっかり親しんできた日本人にとって聴いてて気持ちの悪い異質な音階が多い。けれども耳が次第に慣れてきて、知らないうちにしっくりきているし、その頃にはこの母胎回帰的なえもいわれぬ心地よさを誘うトランス感覚の住人になっているのです。平沢さんの音楽を聴いて初めて聴いたのにどこか懐かしいと感じる人は多いみたいですがこれも音階の作用でしょうね。

こういった平沢ミュージックの呪術的・原始的なサウンドは、元来人間にとって歌とは、音楽とは何であったか? という問まで聴く人を引き戻し、鳥は主に求愛のために囀りますが人間が初めに意図的に作ろうとした音楽とは果たしてラブソングだったのでしょうか、宗教的・呪術的意味から音楽は発生したという説は現在eikouが一番好きな説です。例えば賛美歌・聖歌といったキリスト教音楽は解りやすい例だと思います。人知を越えたものと意志疎通を図るための切迫した信号が、音楽だとしたら? そこに、宇宙と接続した性感であるところのA感覚(詳しくはこちら)があるんですよね。これがつまるところ、私が音楽にエロスを感じる理由であり、平沢ミュージックの沼に引き込まれてしまった個人的理由でもあります。

今回は軽めに終わります。
まだまだ俄かなのでこれからたくさん聴いていきたい。

ところで平沢進の歌詞にある「テクノの娘」「囚われの娘」等の「娘」は霊力向上のため女装したシャーマン少年だと思っています。完全に個人的趣味。(170614追記)