少年愛之美学

守備範囲がやや広めの腐女子による鑑賞と思索。

吉田秋生『BANANA FISH』、「完全少年への性欲」とブロマンスについて

海街diary』等の吉田秋生先生による長編コミック、ベトナム戦争で使用された化学兵器「バナナフィッシュ」を巡って始まりマフィアや軍、華僑財閥なども巻き込んで壮大に展開するハードボイルドアクションを軸に、NYスラムの最強天才美少年アッシュ・リンクスと傷心渡米の日本人大学生奥村英二の友情が描かれる。

秋生先生の作品はどれも爽やかで、軽妙というのがしっくりくるでしょうか、少女漫画黎明期以降暫くのヨーロッパ志向からは一歩離れてどちらかというとアメリカ映画っぽい感じがしますね、台詞回しなんかに。BL要素があるのは私が読んだものだと『ラヴァーズ・キス』『河よりも長くゆるやかに』あたりかなと思います。『吉祥天女』も読みました、あれはフェミニズムかな?

今回はその吉田先生の『BANANA FISH』について、二つの観点から勝手に鑑賞をしていきたいと思います。ネタバレ注意。

①「神の器」アッシュ
ニューヨークのストリートキッズをやっていたアッシュを児童ポルノの餌食にしたゴルツィネという、マフィアのドンが居て、チンピラのリーダーとして頭角を表してきたアッシュ君に結局メロメロになってしまいマイフェアレディーしようとするのですが、アッシュ君はIQ200超えの強かな頭脳と銃弾戦で絶対死なない運動神経とリヴァー・フェニックスモデル(作者談)の美貌とが3拍子揃った夢の逸材ですからゴルツィネの気持ちもよく解ります。勿論政治経済に通じ優秀なアッシュの利用価値を鑑みての執心であったのでもありましょうけども、読んでみるとこれはやっぱり愛です。愛ですね。アッシュ君への賛美が募った末ゴルツィネは彼を「神の器」と名付けます。

そもそも「神の器」という思想自体が壮大なエロスなんですよというお話、人は皆、全てを持っている絶対的存在即ち「完全少年」に対する狂おしい性欲に苛まれている。というのは持論ですけれどもどういうことかといいますと、アメリカ人心理学者マズローの唱えた欲求5段階説は生理、安全、親和、自我(尊敬)、自己実現の順に高次になってゆく欲求が人間にはあるというものですが、まあアッシュ君の場合「生理」「安全」の部分はちょっと怪しいとしても、端から見れば「自己実現までの全ての欲求を果たした存在」のように見えるわけで、「完全少年」をそういった存在であると定義すれば、完全な(幸福の)状態への渇望は、「生きたい」という初歩的望みから始まって全てを手に入れたい、全ての願望を満たしたい、即ち「完全少年」になりたい、同一化したいと願って彼=完全に満たされた状態と自分との差異に苦悶することであるとも言え、要するに平たく申し上げると、「こいつ何でこんなに頭良いんだ!?」「何でこんなに強いんだ!?」という、常人には理解できない・人智を越えた個体に対する激しい憧れをここでは「完全少年に対する性欲」と呼ばせていただいているわけです。つまり完全少年とはここでは人間の理想、至上の幸福、即ち神性を意味するのですが、それの盛られた装飾的器=美しい肉体、これがアッシュ・リンクスの肉体なんですね。本人はそう思っちゃいないんですが、周りの人間を魅了してしまうカリスマ性がその客観的卓越性を物語っている。
なぜ少年でなければならないのか? というのは一つには私の趣味・主観ですが一つには以前の鳩山郁子さんについての記事の時に申し上げましたが、一言で言うと少年はA感覚を根拠に根源的・宇宙的存在であるからなんですね。
エロいですね。

②魂の呼応、友情、ブロマンス
ブロマンスとはbrotherとromanceから成り立つ単語で男性同士の深い友情(を描いた文芸作品)を意味しますが、ブロマンスとは何故これほどまでに美しいのか? という修辞的疑問が私の人生を苛んでいるのです。BANANA FISHのテーマとも言えるこの「魂の触れ合い」ですけれども、男性同士の絆の中で性欲を保有したものっていうのは現実世界においてもありふれたものであるわけですが、生まれも育ちも違う、互いに赤の他人たる二人が、相手のためならば死をも怖れないというレベルまで深く信頼し合い愛し合える、しかもそこには性欲もとい肉体的意味がないというのがeikouには不思議でならんのです。性欲の混入しない恋愛とは存在しうるのか、という問は木原敏江先生の『摩利と新吾』と併せても今後詳しく考えていきたいものですが、さしずめ『BANANA FISH』において英二とアッシュの間にはそれが有る。「ぼくの魂はいつも君とともにある」これは作中で英二からアッシュに向けられた言葉の中にある文言ですが、このエモさに惹かれてしまうのはやはりこの恋愛ではないが死をも担保にできる深い絆という関係性がほとんどファンタジーの領域にあるからなのでしょうか。それこそ『雨月物語』とか明治の文豪の書簡とか、武士道の色がまだ強かった時代にはあったような気もするんですけれど。

言っとくがあいつらの間には性的な関係はいっさいなかった
恋愛に似た感情は…あったかもしれないが
魂の…奥深いところで結び付いていたんだ
 (引用:吉田秋生BANANA FISH ANOTHER STORY』1997年小学館)

この言葉が彼らの関係性の全てを語っていると思います。


まあぐちゃぐちゃ申し上げてまいりましたけどもね、めちゃめちゃ面白いんですよ、言うまでもなく。ハリウッドで実写化してくれないかなあ。それから腐女子的に最も嬉しいのは本作には大量のイケメンキャラが登場し、組み合わせも様々なところで、ハードボイルドと言えど少女漫画なので、さすが秋生先生、緻密な心理描写から様々なベクトルで人間関係が錯綜しているのです。例えば月龍という中国人の美少女美少年が登場するのですが、彼はアッシュを崇拝していてアッシュの右腕になりたいと願うのですけれどもそのポジションは既に英二が占めている。英二への嫉妬、同郷のチンピラ・シンたちとの確執、プライドゆえの月龍の孤独、孤独を埋めるように寄り添う無敵の用心棒ブランカ、彼は実は過去にアッシュと繋がりがあって……等々。時間がある時に読み始めてください、止まらないので。