少年愛之美学

守備範囲がやや広めの腐女子による鑑賞と思索。

BL界の鬼才はらだ、とBLの社会的意義について

BL界の鬼才と謳われていらっしゃる現在御活躍中の漫画家さん、はらださんですがまさにその通りだとeikouは思います。今度新刊が出ますね。楽しみです。初めてはらださんの作品をお読みしたのが友人に借りた『やたもも』……かと思っていたのですが実はその前に『銀魂』同人時代の作品を既に呼んでいたらしいというのを後々知ったり。
今回の記事ではeikouから見てはらださんの何が「鬼才」かというプレゼンと、派生して「BLという創作ジャンルの社会的意義」についての考察の一端を語っていきたいと思います。

でははらださんの何が「鬼才」なのか。
①まず濡れ場のデッサン力。はらださんの場合シンプルかつ明確なデッサンは確固たる大前提であり、さらに、これはセクシーだと読者の無意識(本能)に訴える表情や姿勢を見事に操っていらっしゃる。更に「デッサン力」は視覚のみならなず聴覚にも及びます。つまり喘ぎ声です。「阿」と「吽」を適当に連ねれば良いなどというお座なり或いはカムフラージュ的態度ではらださんは喘ぎ声に臨んではいません。どういった音声が押し出されるか、によって人物の内的感覚がより切実に読者に届くのです。「今将に挿入せんとす」「将に逝かんとす」「逝ってるなう」その時々に彼の身体の中では何が起こっているのか。それぞれの瞬間にそれぞれの音声があるのです。笑うところですよ。
御本人がそう意識されているかは存じません、何しろ喘ぎ声とはそれだけで単なるフェティシズム(表現においてはこだわり)となりうるほど協力な要素であるからです。が、結果的にはこういう効果があったと言えます。作家さんの表現力の産物でしょう。

②次に作品の振れ幅ですが、それをよく象徴しているのが短編集『ネガ』『ポジ』かと思います。表題通り前者には少し暗めで後者には明るめの短編が集められていて、この二冊を読むだけでもはらださんという作家さんの振れ幅がよく解ると思います。教師×生徒という社会と愛情による板挟みの関係やフィアンセの死に端を発したストーカーなど人物を救済のない苦悩の中に平然と追い込む一方、自分の性的快感を連動させることで天使を治癒したりしたり感覚は接続したまま股間が取れたりと欲望にのみ忠実なアホ設定に躊躇なく存在を許してしまう。この厳しささとアホさとが絶妙なはらだワールドなのです。
個人的に『ネガ』収録の「ピアスホール」という独白調のお話がめちゃめちゃ好きで、原作でもあるのかと思うくらい(あるのか?)小説チックな作品なのですが、ノベライズしてほしい。というかしたい。

③それから、はらださんはBLという創作ジャンルの価値を牽引する作家さんの一人であるということ。BLでしかできないことをやっていらっしゃるということです。勿論「男性同士の恋愛」というのもBLにしかできないことではありますがそうではなく、BLでしか主張できない真理、というものがある。

以下少し、「BLという創作ジャンルの社会的意義」についてeikouなりの主張をまとめさせていただきます。

男女のエロ漫画や少女漫画を男性同士に置換したものは、即ち単に「受」にVの役割(A=“anus”に対応)を負わせただけのBLはそれ以上の意味を持ちません。(Aについてはこちらを参照。)「受」「攻」があるのは良いのですが、両者の間にAの意識が流れている作品があって初めて、BLというジャンルに文化史的意義が付与されるように思います。Aの意識とは、ではこの場合において何か? それは「男性の被虐」という意識であるとeikouは考えています。はらださんの作品にはこの意識が明確に現れているような気が致します。
繰り返しますが単にPとVの役割分担的BLはエロ漫画という価値のみを持ちます。これも価値としては十分ですがここに「男性の被虐」という意識を持ち込むことでBLがそれ以上の意味を持って社会に開けてくると思うのです。
どういうことかと言いますと、別の機会(記事最下部にリンク追加170708)にもまた詳しく書こうと思うのですが現代社会において男性は能動的存在、陰と陽で言うと陽的存在なわけで、これをP意識と呼ぶとすると、現代において男性とはP意識を社会から無意識のうちに強制された人間を差す概念であるのです。その「男性」は社会の中でも無意識に自らにPとしての義務、能動的存在たる義務を課しますがこれは自ずと義務のみならず権利をも自らに許すことになり女性への差別・区別意識などにさえ繋がっています。ここで、先日の宗教萌えの記事でも「世界に対する受動性」ということをお話しさせていただきましたが、そういった、Pに支配された男性が自らのA即ち根本的受動的性質、被虐の可能性を自覚したらどうなるか? 理論上、男性はP意識即ち社会的男性としての義務や権利や慣習、言い換えれば男性というジェンダーから解放・追放されるのです。これは本人にとっても周囲にとっても良いことだと思います。

そしてこういったプロセスの引き金となるA意識を保存し絶えず示唆するBLが「BLという創作ジャンルの価値を牽引する」ものであり、はらださんの作品を初めとするBLという創作物の社会的意義というのはそこにあるのではないでしょうか。因の議論も盛んですが果はこれだと思うのです。そういう意味では男性こそBLを読んでみて良いと言えるのでしょう。

こんなしょうもないことを考えながらこいつはエロ本を読んでるのか? と言われてはどうしようもないのですけども、こんなのは後から考えたことで呼んでる最中は「ンフッ受け可愛い」とかしか考えてないですよ。勿論。
それとはらださんの『よるとあさのうた』、最後のセックスシーンはあれは芸術です。富士山頂で初日の出を見たような感慨(?w)。あれほどエモーショナルで美しいゲイセックスシーンは今のところ、後にも先にも見ていませんね。

参考↓
ehirocyanos.hatenablog.com