少年愛之美学

守備範囲がやや広めの腐女子による鑑賞と思索。思い付いたまま書き散らしている。

「桜の樹の下には」、と文友たちのプラットニックsexについて

檸檬」等で有名な文豪梶井基次郎の代表作の一つ「桜の樹の下には」、文庫本4ページほどに収まってしまう超短編ですが読後の満足感は分量以上のものがあります。

この作品におけるeikouの注目ポイントは以下3点。
①映像美
仏教的死生観
③聴き手は誰か←重要
ということでそれぞれについて詳しく語っていきましょう。

①映像美
これは読んでいただければお解りになると思いますが、現実風景と心象風景のオーバーラップし合う情景は非常に美しく幻惑的。色調や輪郭線に統一感があり、映像的美意識を持って編集された作品だという印象を受けます。前稿から削除された剃刀のくだりの意味について議論がされているようですがそういった取捨選択の一基準に映像的に美しいか否かというのがあったのだと思います。まあ百聞は一見に如かず。何より梶井のビジュアルを御存知でしょうか、あのどちらかというとゴリラ、ゴリラなんですけど、寄りの風貌の男がこのような繊細な世界を描き出したのだと思うとそれだけで萌えますね。芸術作品の萌えとは作品の内容のみならず作品と作者の関係からも喚起されるものなのでしょう。

仏教的死生観
仏教のA感覚的性質についてはまた別の機会に言及させていただきますが、エネルギーの移動を原理とした輪廻転生という死生観の側面から「生命の一元論」という性質が指摘できると一言記しておきます。
「桜の~」のテーマの1つがこの死生観だと思うのですが、つまり「生と死の循環」。エロスとタナトスという対義語がありますがエロスは性→生殖→生、タナトスは死で、この小説は両者を対比させながらその循環を描いています。生命が朽ちる死の惨劇から爆発的な生命の美が生まれる。人生の儚さの象徴とされる蜻蛉の、交尾と死との対比と連続もこれを強調します。この「死への意味付け」は事実若くして亡くなってしまう病弱な梶井自身の不確かな生への不安に根ざしているのでしょう。半ば願望のようなものを感じます。
また桜の美を生む「屍体」と、愛でるべき桜の美とがない混ざってネクロフィリア的エロス(これは「エロい」の意味)がある。

③聴き手は誰か
これは非常に考察のしがいがあるテーマで、「桜の~」は「俺」が「おまえ」に語り掛けるという形式の小説であるわけですが、この「お前」とは誰なのか? という議論はわりとされているらしい。こんな気色の悪い話を大人しく延々聴いてくれる人物は語り手といったいどういう関係性なのだろう。と考えると、いくつかの単語の性質も鑑みて、そして趣味も相俟って、男性の「文友」であるという線を私は推します。
語り手は、梶井自身或いはその投影であるとしておそらく誤りはない、というのもこの小説は主張小説であるからです。この小説は、おそらくはエンターテイメント小説とは異なり作者が自分の発見したアイデアを人に知ってもらうことを目的に書かれたものだと思います。「檸檬」等を読むと梶井の芸術家としての自己顕示欲が伺えますし、「桜の~」は小説のスタイルを取った梶井の主張であり、したがって作中の語り手は彼自身か或いはそれに限りなく近い性質の人物と考えられます。
そこでそれに対する聴き手を推測しますが、発表時1928年に梶井は20代終わり、既に「檸檬」を発表済みで彼の文学を認める者が僅かに(梶井は文壇に認められる間もなく死去している)居たことを考えると、このような梶井の思想語りに耳を傾ける文友が居てもいい。と思って調べますと小説家伊藤整が執筆前のこの思想を聴き感銘を受けたというエピソードがありました。(伊藤整『若い詩人の肖像』1958年新潮社)
伊藤整との関係がどれほどの深度であったかは解りませんが、一般に互いの思想や文学を内心で軽侮し内心で敬服し嫉内心で妬し合い高め合う、文友という関係性は深いプラトニックな交流が媒介し、その交流には、相手が自分を磨いてくれるだろうという打算的部分と、とは言ってもその一言では表せない、多分に敬愛や愛情の籠もった依存の部分とが含まれるように思います。得意になって、やや不安げに確かめるように、思想を語る語り手と、それをジャッジしてやろうとちょっと意気込みながら、なるほど悪くないと聴き入る聴き手、という構図が透視されるのです。

  「べたべたとまるで精液のやうだと思つてごらん。」(引用:梶井基次郎桜の樹の下には青空文庫、www.aozora.gr.jp/cards/000074/files/47552_29611.html アクセス日170410)

「精液」というワードが、語り手の唇から紡がれ、聴き手の鼓膜を震わせ、認識される。これはもう言語上の中出しですよね(?)。
2人の文学青年が夜桜の下、デカダンな死性愛的憧憬に身を浸すこの情景は萌え以外の何物でもありません。


梶井作品の中でもう一つ外せないのが「Kの昇天」ですが、こちらについてもいずれ書かせていただきたいと考えております。